【上海通信】宋慶齢の切手
このブログで、二回にわたって、宋慶齢をとりあげましたが(宋慶齢の旧居(1)、宋慶齢の旧居(2))、今回は中国から発行されている宋慶齢にちなむ切手を紹介しましょう。
宋慶齢の死去一年にあたる1982年5月29日、「名誉国家主席宋慶齢死去一周年」と題して二種類の切手が発行されました。
この切手に取り上げられた宋慶齢は眼鏡をかけていますが、1949年9月21日に中国人民政治協商会議の第一回全体会議で演説した際に、同様の眼鏡姿で演説している写真があり、おそらくこの時の写真の一枚をもとにデザインされたものと思われます。
ちなみに、この際の人民政治協商会議で毛沢東が中央人民政府主席に選出され、北京が首都に選定されました。五星紅旗が国旗となり、国慶節が10月1日に定められたのもこの会議でした。
この切手の肖像は、1956年に北京で撮影された下の写真がもとになっていることは間違いないでしょう。これは、宋慶齢旧居の売店で販売されていた絵葉書の一枚ですが、絵葉書はモノクロ、切手は鮮やかなカラーです。もしかすると、切手のデザイン作成にあたって、後から着色したのかもしれません。
また、1993年1月20日には、宋慶齢生誕百年を記念して二種類の切手が発行されています。この二枚は、写真ではなく、写真をもとに描かれた絵のようなタッチです。
二枚目の切手では、子供を両手で抱えるようなポーズの宋慶齢が描かれています。宋慶齢は第二次大戦後、福利基金会を創設して児童福祉に努めていたことから、そういった団体のイベントなどで子供と一緒に撮影された写真も多く残されており、この切手もそうした宋慶齢の児童福祉活動をイメージしてデザインされたものと思われます。
さて、これは切手ではなく、上海の郵趣団体(上海市集郵総公司)が作成した小型シート状のシールですが、参考までに紹介しておきます。
また、これはいわゆる日本でも発売されているフレーム切手の類で、正規の切手と独自デザイン部分を組み合わせたシートとなっており、宋慶齢旧居の売店で記念品として販売されていましたので紹介します。
80分の切手16枚以外の部分に、宋慶齢ゆかりの写真がデザインされています。中央には宋慶齢の旧居、上一列の4枚の写真が旧居の室内写真です。
上から四段目、右から二つ目の写真がこのブログの一枚目で取り上げた切手のデザインに近いもので、おそらく1949年9月21日の中国人民政治協商会議の第一回全体会議のものでしょう。
宋慶齢の死去一年にあたる1982年5月29日、「名誉国家主席宋慶齢死去一周年」と題して二種類の切手が発行されました。
この切手に取り上げられた宋慶齢は眼鏡をかけていますが、1949年9月21日に中国人民政治協商会議の第一回全体会議で演説した際に、同様の眼鏡姿で演説している写真があり、おそらくこの時の写真の一枚をもとにデザインされたものと思われます。
ちなみに、この際の人民政治協商会議で毛沢東が中央人民政府主席に選出され、北京が首都に選定されました。五星紅旗が国旗となり、国慶節が10月1日に定められたのもこの会議でした。
この切手の肖像は、1956年に北京で撮影された下の写真がもとになっていることは間違いないでしょう。これは、宋慶齢旧居の売店で販売されていた絵葉書の一枚ですが、絵葉書はモノクロ、切手は鮮やかなカラーです。もしかすると、切手のデザイン作成にあたって、後から着色したのかもしれません。
また、1993年1月20日には、宋慶齢生誕百年を記念して二種類の切手が発行されています。この二枚は、写真ではなく、写真をもとに描かれた絵のようなタッチです。
二枚目の切手では、子供を両手で抱えるようなポーズの宋慶齢が描かれています。宋慶齢は第二次大戦後、福利基金会を創設して児童福祉に努めていたことから、そういった団体のイベントなどで子供と一緒に撮影された写真も多く残されており、この切手もそうした宋慶齢の児童福祉活動をイメージしてデザインされたものと思われます。
さて、これは切手ではなく、上海の郵趣団体(上海市集郵総公司)が作成した小型シート状のシールですが、参考までに紹介しておきます。
また、これはいわゆる日本でも発売されているフレーム切手の類で、正規の切手と独自デザイン部分を組み合わせたシートとなっており、宋慶齢旧居の売店で記念品として販売されていましたので紹介します。
80分の切手16枚以外の部分に、宋慶齢ゆかりの写真がデザインされています。中央には宋慶齢の旧居、上一列の4枚の写真が旧居の室内写真です。
上から四段目、右から二つ目の写真がこのブログの一枚目で取り上げた切手のデザインに近いもので、おそらく1949年9月21日の中国人民政治協商会議の第一回全体会議のものでしょう。
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